市来鶴丸城跡
〒899-2202 鹿児島県日置市東市来町長里361-1
市来院を領有していた市来氏が築いた、標高約100m、周囲約3kmの山城である。南北朝時代から戦国時代にかけて、たびたび戦いが行なわれた。宣教師のザビエルやアルメイダが訪れ布教した。
〒899-2202 鹿児島県日置市東市来町長里361-1
市来院を領有していた市来氏が築いた、標高約100m、周囲約3kmの山城である。南北朝時代から戦国時代にかけて、たびたび戦いが行なわれた。宣教師のザビエルやアルメイダが訪れ布教した。
〒899-3301 鹿児島県日置市吹上町中原
伊作島津氏の本拠地であった伊作城の本丸である。県内でも屈指の巨大な山城である。伊作島津氏10代忠良、関ヶ原の戦いで知られる義弘、その兄弟の義久・歳久・家久の生誕地であり、築城の技術からも貴重である。
899-2502 鹿児島県日置市伊集院町徳重1786
大田報恩寺住職が、住民の慰安になるように、と考案したのが始まり伝えられている。城攻めをかたどったとされ、進退のあざやかさに特徴がある。10月第4日曜日の妙円寺詣りの日に徳重神社に奉納される。
〒899-3301 鹿児島県日置市吹上町中原東宮内
大汝牟遅神社の参道東側に10数本の巨楠の森がある。倒れ伏して朽ちた楠は、根回り18mもあったという。明治43年に博覧会に出品した切株によると、樹齢800年以上と推定された。
〒899-2431 日置市東市来町美山1690番地4
陶郷に生まれ、激動の世界を舞台にした外交官の軌跡鹿児島県を代表する工芸品である薩摩焼の技法を、美山に花咲かせた陶工たちの未裔で外交官として身を立て、太平洋戦争の開戦・終戦時に、外務大臣を務めた東郷茂徳氏の生涯を、時代背景とともに遺品・パネル・マルチ画面で展示紹介します。 「元外相東郷茂徳記念館」は、太平洋戦争という激動の時代を東郷茂徳氏の生涯とともに展示案内する施設です。 大迫力の2画面マルチ映像による<美山と東郷茂徳>では、美山・薩摩焼の歴史、そして、一つの時代を背負い行動することになった氏の疾風怒濤の人生を伝えます。 ほかに、プロローグギャラリー・氏の生涯を4つに分けた展示パネル(生い立ち、青年時代・外交官時代・外相時代・晩年)・遺品などが常設展示されています。
〒899-2431 鹿児島県日置市 鹿児島県日置市東市来町美山1051番地
美山陶遊館は、“薩摩焼の里”に建設された自然に親しむための体験型レクリエーション施設です。 ここでは、気軽に薩摩焼の陶芸体験が楽しめます。陶工の指導を受けながらろくろ・手ひねりが体験でき、家族連れやグループ、女性に大変人気があります。
〒899-2201 鹿児島県日置市東市来町湯田 TEL:099-274-5650
お田植祭は、毎年3月3日、湯之元の稲荷神社で行われます。豊作を祈り、200年以上も前から始まったとされ、近隣からたくさんの人が詰め掛けます。 境内に水田をかたどり、あぜ塗り、牛を使った田ならし、休憩の茶飲みの様子などを鹿児島弁でおもしろおかしく即興で演じる「田園劇」に、境内は笑いに包まれます。
899-2521 鹿児島県日置市伊集院町
朝鮮出兵に参加した島津義弘が明の大軍と戦うときに、高い幟を立て、大太鼓を打ち鳴らし、威嚇して勝利を得たことから始まったと伝えられている。直径1.5mの大太鼓を使用する。妙円寺詣りの日に徳重神社に奉納される。
〒899-3301 鹿児島県日置市吹上町中原東宮内2263
当初ここに邇邇芸尊がおとずれ大神神社を勧請し、その後文治2年(1186年)に島津忠久が鶴岡八幡宮から八幡神を勧請したとされる。発祥は判然としないが、室町時代には地元を支配していた島津氏分家の一つ・伊作家の尊崇を受けるようになった。参道は楠の巨木が群生しており「千本楠」と呼ばれている。(参照元:wikipedia)
899-2311 鹿児島県日置市東市来町養母
毎年8月15日に北山自治会で行われる。戦いに敗れた北山殿の霊を慰めるためという説や、無縁仏を供養するためであるという説などがある。たいまつをつけた複数の孟宗竹を4~5人がかりで激しく振る。
〒899-3203 鹿児島県日置市日吉町吉利岩井田
平成5年より始まった深固院祭りは、元中3年(1386年)幽遠山深固院を開山した石屋(せきおく)和尚の法要をはじめ、地域おこしイベントとして地元自治会により毎年11月第3日曜日に開催されています。 その昔、たびかさなる飢饉の際、和尚が落穂を拾い集め、籾(もみ)を粉にして餅をつき、醤油をかけて焼き皆に食べさせたことが始まりとされています。県内でも有名なしんこ団子はこうして生まれたと伝えられています。 当日は扇尾保育園の子ども太鼓の披露や郷土芸能が奉納され、終日多くの人でにぎわいます。