伊作太鼓踊
〒899-3303 鹿児島県日置市吹上町湯之浦
応永13(1406)年、伊作島津家当主久義が田布施の二階堂氏を攻め、攻略した際に考案された踊りと伝えられています。花笠を被った美麗な衣装の中打、白装束に大きな矢旗を背負った平打が太鼓を打ち鳴らし勇壮に踊ります。毎年8月28日に南方神社に奉納し、その後2日かけて吹上の各地で披露します。
〒899-3303 鹿児島県日置市吹上町湯之浦
応永13(1406)年、伊作島津家当主久義が田布施の二階堂氏を攻め、攻略した際に考案された踊りと伝えられています。花笠を被った美麗な衣装の中打、白装束に大きな矢旗を背負った平打が太鼓を打ち鳴らし勇壮に踊ります。毎年8月28日に南方神社に奉納し、その後2日かけて吹上の各地で披露します。
〒899-2431 鹿児島県日置市 鹿児島県日置市東市来町美山1051番地
美山陶遊館は、“薩摩焼の里”に建設された自然に親しむための体験型レクリエーション施設です。 ここでは、気軽に薩摩焼の陶芸体験が楽しめます。陶工の指導を受けながらろくろ・手ひねりが体験でき、家族連れやグループ、女性に大変人気があります。
〒899-3203 鹿児島県日置市日吉町
「せっぺとべ」は文禄4年(約400年前)から日吉地域に伝わる「お田植え祭り」です。若い衆が田の中で円陣を組み、酒を飲み、唄を歌いながら勢いよく飛び跳ねます。 この祭りは土をこねる足踏み耕の意味と害虫を踏み潰す意味があり、泥にまみれて今年一年の豊作を祈願します。当日は地域住民や子供会による棒踊り、虚無僧(こむそう)踊(おど)りなども奉納され、まちは終日活気にあふれます。 ※「せっぺとべ」は「精一杯跳べ」の意味があります。
〒899-2201 鹿児島県日置市東市来町湯田 TEL:099-274-5650
お田植祭は、毎年3月3日、湯之元の稲荷神社で行われます。豊作を祈り、200年以上も前から始まったとされ、近隣からたくさんの人が詰め掛けます。 境内に水田をかたどり、あぜ塗り、牛を使った田ならし、休憩の茶飲みの様子などを鹿児島弁でおもしろおかしく即興で演じる「田園劇」に、境内は笑いに包まれます。
〒899-2431 鹿児島県日置市東市来町美山
1986年(昭和61年)から続く「美山窯元祭り」。陶芸の技を伝えた先人をしのび、その功績を称えるとともに、その伝統と歴史に触れ、薩摩焼をはじめとする工芸品に親しんでもらうイベントとして、毎年多くの人が訪れています。令和2 続きへ
899-2521 鹿児島県日置市伊集院町
朝鮮出兵に参加した島津義弘が明の大軍と戦うときに、高い幟を立て、大太鼓を打ち鳴らし、威嚇して勝利を得たことから始まったと伝えられている。直径1.5mの大太鼓を使用する。妙円寺詣りの日に徳重神社に奉納される。
899-3101 鹿児島県日置市日吉町日置諏訪
吉利では8月23日に南区・中区・北区が輪番制で、日置では諏訪と八幡が8月28日に南方神社を中心に踊りを奉納している。起源については慶長13年(1608)ごろとの説もあるが明らかではない。
〒899-3301 鹿児島県日置市吹上町中原東宮内2263
当初ここに邇邇芸尊がおとずれ大神神社を勧請し、その後文治2年(1186年)に島津忠久が鶴岡八幡宮から八幡神を勧請したとされる。発祥は判然としないが、室町時代には地元を支配していた島津氏分家の一つ・伊作家の尊崇を受けるようになった。参道は楠の巨木が群生しており「千本楠」と呼ばれている。(参照元:wikipedia)
899-2311 鹿児島県日置市東市来町養母
毎年8月15日に北山自治会で行われる。戦いに敗れた北山殿の霊を慰めるためという説や、無縁仏を供養するためであるという説などがある。たいまつをつけた複数の孟宗竹を4~5人がかりで激しく振る。
〒899-3203 鹿児島県日置市日吉町吉利岩井田
平成5年より始まった深固院祭りは、元中3年(1386年)幽遠山深固院を開山した石屋(せきおく)和尚の法要をはじめ、地域おこしイベントとして地元自治会により毎年11月第3日曜日に開催されています。 その昔、たびかさなる飢饉の際、和尚が落穂を拾い集め、籾(もみ)を粉にして餅をつき、醤油をかけて焼き皆に食べさせたことが始まりとされています。県内でも有名なしんこ団子はこうして生まれたと伝えられています。 当日は扇尾保育園の子ども太鼓の披露や郷土芸能が奉納され、終日多くの人でにぎわいます。