大乗寺跡
大乗寺跡

〒899-3101 鹿児島県日置市日吉町日置5680

大乗寺は島津15代太守貴久の夫人雪窓の建立によるもので開山は一岳等忍和尚である。文禄4年(1595)に日置島津3代常久は初代歳久の冥福のためここを日置島津家の菩提寺にしたという。明治初年の廃仏毀釈で廃寺となった。

八幡神社
八幡神社

〒899-3101 鹿児島県日置市日吉町日置

祭神は天照大神、天津彦彦火瓊々杵尊、栳幡千々姫命、仲哀天皇、応神天皇、神功皇后。文禄4年(1595)に日置島津3代常久によって、日置52社の総鎮守となっている。毎年6月の第1日曜日に「せっぺとべ」が行われている。

木脇大炊介祐兄墓塔
木脇大炊介祐兄墓塔

〒899-2524 鹿児島県日置市伊集院町恋之原

祐兄は戦国時代後期の武士で、島津本家15代太守貴久が敵対する島津実久に攻められ、清水城(現鹿児島市)を脱出する際に貴久を守った。ほかにも功績があり、伊集院の恋之原に土地をもらい、ここで亡くなったとされている。

摩崖佛
摩崖佛

〒899-2501 鹿児島県日置市伊集院町下谷口1887

巨岩の表面を磨いて阿弥陀三尊像が刻まれている。中央に阿弥陀如来、右に脇侍観音、左に勢至で、脇侍が跪座して如来を迎えるのは珍しい。裏面には解読不能の変わった梵字が刻まれている。

平等寺跡史跡の入定窟及び石塔
平等寺跡史跡の入定窟及び石塔

〒899-2513 鹿児島県日置市伊集院町麦生田42

平等寺は嘉禄年中(1225~1227)に建立された。初代の住職頼遍法師の入定窟で、建長2年(1250)の刻字がある。周辺には荘厳寺18世の石塔や税所氏の石塔がある。

有馬秀四宅武家屋敷門
有馬秀四宅武家屋敷門

〒899-2501 鹿児島県日置市伊集院町下谷口1836

伊集院郷の地頭仮屋の門で、個人の所有となり個人宅に移転されたが、昭和60年6月に伊集院町へ寄贈され、仮屋があった伊集院小学校へ移された。

伏波の額
伏波の額

〒899-2502 鹿児島県日置市伊集院町徳重1786

藩主島津斉宣が、文化3年(1806)に藩政の一大改革を成功せしめ給えと祈念して奉納したもの。

石谷高久墓碑
石谷高久墓碑

〒899-2502 鹿児島県日置市伊集院町徳重341

石谷が町田(後に石谷と改姓)高久の領地になったことを、伊集院氏は不満に思い、宝徳1年(1449)に高久を呼び出し、墓碑がある場所で暗殺したと伝えられている。

有馬新七先生墓碑
有馬新七先生墓碑

〒899-2501 鹿児島県日置市伊集院町下谷口

有馬新七は吉田松陰、真木和泉と並ぶ明治維新原動力の志士で、薩摩での尊王攘夷の中心として活躍しました。文久2年(1862年)4月、京都の寺田屋で同じ薩摩藩士と斬り合いの末壮絶な死を遂げました。(寺田屋事件)墓は南林寺墓地撤去により現在地に移されたものです。

伊集院忠国公夫婦の墓碑を含む円福寺墓地群
伊集院忠国公夫婦の墓碑を含む円福寺墓地群

〒899-2443 鹿児島県日置市伊集院町寺脇87

開山は息山和尚と由緒記にあり、伊集院郷中では最も古い寺で平安末期には存在していたと考えられている。南北朝期の武将伊集院忠国と夫人、僧侶等の20数基の石塔が残っている。

永平橋記念碑
永平橋記念碑

〒899-2501 鹿児島県日置市伊集院町下谷口

嘉永3年(1850)11月29日に着工、翌年1月20日竣工した石造眼鏡橋に伴って作られた碑である。碑に刻まれた文字は西郷隆盛のものと伝えられている。

大渡橋記念碑
大渡橋記念碑

〒899-2443 鹿児島県日置市伊集院町寺脇

嘉永3年(1850)11月20日に着工、翌年2月8日竣工した石造眼鏡橋に伴って作られた碑である。刻まれた文字は西郷隆盛のものと伝えられている。

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