六代木像
六代木像

〒899-3203 鹿児島県日置市日吉町吉利尾之上

平維盛の長男六代の木像で、高さ40cmの大きさで現在吉利の清浄寺に安置してある。維盛は平清盛の孫なので六代は清盛の曾孫にあたる。六代の子次郎が、吉利禰寝家(後に小松と改姓)の初代清重と伝えられている。

熊野神社
熊野神社

〒899-3101 鹿児島県日置市日吉町日置中原

建久7年(1196)島津家初代忠久が、薩摩国に下向の折、沖で暴風雨に遭った。熊野権現に暴風を静めるよう祈願すると、波が静まり着船上陸できたので、忠久は深く神の恩に感謝しこの地に神社を建立したと伝えられている。

桂山寺跡
桂山寺跡

〒899-3101 鹿児島県日置市日吉町日置城ノ下

 日置3代領主島津常久は一岳等忍和尚に寺を再興させ、ここを父忠隣の菩提寺とした。忠隣は、天正15年(1587)に羽柴秀長の大軍と日州根白坂で戦い、戦死している。西郷隆盛に影響を与えたとされる赤山靭負の墓もある。

光禅寺跡
光禅寺跡

〒899-3101 鹿児島県日置市日吉町日置352

日置初代島津歳久の夫人(悦窓院)は、慶長7年(1602)に瑞岳和尚を招いて寺院を建てた。これが瑞喜山光禅寺となった。3代領主島津常久と同夫人、初代歳久公夫人その他島津家ゆかりの人や殉死した家臣の墓などがある。

乳地蔵
乳地蔵

〒899-3203 鹿児島県日置市日吉町吉利岩井田

布袋様に似た石像を中心に子供達の像が並んでいる。これが乳地蔵で、昔はこの地蔵に参拝すると乳がよく出るようになると伝えられ妊産婦の参拝者が遠くからも来ていたということである。

吉利神社
吉利神社

〒899-3203 鹿児島県日置市日吉町吉利岩井田

祭神は鎌倉權五郎景政をはじめ、8座の神である。鎌倉景政は後三年の役(1083~1087)で敵将鳥海弥三郎に左眼を射られたが、その矢を7日間も抜かずに弥三郎を追い、これを射殺して勇名をとどろかしたと伝えられている。

山田の田の神
山田の田の神

〒899-3101 鹿児島県日置市日吉町日置89

水神と並んで祀ってある。道路改修や土地の崩落などで何回か移動し、平成6年に現在地に安置された。田の神には年代は刻まれていないが、水神には宝永7年(1710)と刻まれており、同年代に作られた可能性がある。

岩屋観音
岩屋観音

〒899-3102 鹿児島県日置市日吉町山田2154-1

子宝と安産に霊験あるとして参詣が多い。山田家15代有信の奥方は子がなく、岩屋観音に男子を授かるよう祈願した。天正6年(1578)に男児が産まれたが、奥方はすぐに亡くなったという。この子が高名な武士山田昌巌である。

鹿児島塚跡
鹿児島塚跡

〒899-3203 鹿児島県日置市日吉町吉利片町

天文2年(1533)に桑波田孫六と島津実久(薩州家)は南郷城を奪回するため兵を進めたが、島津忠良と貴久(本家15代太守)に敗北した。鹿児島塚はこの時の戦場の後始末で集めた敵の武具類を埋めたものとされている。

深固院跡
深固院跡

〒899-3203 鹿児島県日置市日吉町吉利7585-1

開山は薩藩禅宗の開祖石屋真梁和尚である。石屋は元中3年(1386)に深固岳の北麓に草庵を結び深固院と名付けて布教を始めた。寺はその後なくなったが貞享3年(1686)吉利領主21代清雄の時に再興した。

園林寺跡
園林寺跡

〒899-3203 鹿児島県日置市日吉町吉利5004-3

建立は応永24年(1417)で、文禄4年(1595)に禰寝重張が吉利に移封された時小根占からこの地に移した。初代清重以下の霊を集め祀る外、17代重張以下歴代領主の墓があり、明治維新の功臣小松帯刀の墓もある。

鬼丸神社
鬼丸神社

〒899-3203 鹿児島県日置市日吉町吉利

祭神は禰寝家16代右近太夫重長である。重長は大隅地方に勢力を振るい剛勇の聞こえ高く、善政を布いたため慕われたという。その子重張は小根占から吉利領主に移封されたのでここに鬼丸神社を建立して父の霊を祭った。

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