南郷城跡
南郷城跡

〒899-3221 鹿児島県日置市吹上町永吉14011-1

鎌倉時代の日置南郷の郡司であった覚弁を始祖とする桑波田氏の居城であった。深い谷と絶壁に囲まれた雄大賢固な山城である。天文2年(1533)、城主桑波田孫六が島津忠良(日新公)にそむいたので、攻め落とされた。

田中城跡
田中城跡

〒899-3311 鹿児島県日置市吹上町和田2145-1

建久年間(1190年代)に和田八郎親純が居城したと伝えられる。親純は平姓伊作氏の養子となり、伊作郷を領し伊作地頭の職を子孫に伝えた。一族は大いに繁栄したが南北朝の動乱を境に衰えていった。

天昌寺跡
天昌寺跡

〒899-3221 鹿児島県日置市吹上町永吉14884-6

 元中2(1385)年に石屋禅師が建立した。日向佐土原城主島津豊久は、関ヶ原の戦いで伯父の島津義弘を守って戦死した。豊久の遺臣は永吉に移住、豊久の墓をここに建てた。以後は永吉島津氏の代々の菩提寺になった。

天徳寺跡
天徳寺跡

〒899-3303 鹿児島県日置市吹上町湯之浦2275

健保1(1213)年に東福寺として創建。後に天徳寺と改名。伊作島津氏3代親忠は、ここを菩提寺とした。伊作郷最古の寺院とされている。親忠、その弟の久氏、島津宗家5代貞久等の墓が残っている。

多宝寺跡
多宝寺跡

〒899-3301 鹿児島県日置市吹上町中原3143

島津氏の分家であった伊作島津氏代々の菩提寺。歴代の領主(3代及び10代を除く)と婦人の墓がある。10代当主忠良は、九州の大半を支配した戦国島津氏の基礎を作った人物。多宝寺跡には忠良の両親と娘の墓がある。

蛭子像
蛭子像

〒899-3301 鹿児島県日置市吹上町中原

島津忠良(日新公)が蛭子像2体(高さ36㎝)を彫刻し、蛭子神社に安置したと伝えられる。文化3年(1806)に紛失したので新しく2体作ったが、文化9年に発見されたので、新旧4体の蛭子像が供えられている。

黒川洞穴

〒899-3221 鹿児島県日置市吹上町永吉

縄文時代から平安時代にいたるまでの長期間使用された巨大な洞穴。黒川式と名づけられた土器や石器等の道具類、大量の貝殻、動物の骨が発見された。また、約3000年前とされる埋葬された女性の骨も発見された。

中田尻の田の神
中田尻の田の神

〒899-3308 鹿児島県日置市吹上町中田尻

享保2年(1717)の建立で、年代が明らかなものとしては県内でも古いものである。高さ約1メートル、杓子を持った地蔵型立像の田の神である。

常楽院
常楽院

〒899-3308 鹿児島県日置市吹上町田尻

建久7年(1196)に、島津家の祈祷僧として島津初代忠久に従って薩摩に下った宝山検校が、田尻中島に常楽院を建立したと伝えられている。薩摩琵琶発祥の地とも伝えられている。

毘沙門天
毘沙門天

〒899-3101 鹿児島県日置市日吉町日置毘沙門

伊集院の一宇治城主紀時清が、城の守り神として安置したとされている(1180年頃)。天文19年(1550)に島津貴久が一宇治城を攻め落とし、毘沙門天を日吉へ移したと伝えられている。

石屋和尚手彫りの石地蔵
石屋和尚手彫りの石地蔵

〒899-3101 鹿児島県日置市日吉町日置中原

石屋和尚(1349~1428)が持地庵の本尊として自分で彫った石の地蔵菩薩とされている。左手に宝珠、右手に錫杖を持った地蔵菩薩の石像である。

扁額「医王宝殿」
扁額「医王宝殿」

〒899-3101 鹿児島県日置市日吉町日置3390-1

足利3代将軍義満の書と伝えられている。額の左側に小さく「鹿苑院殿台翰」の文字が見える。鹿苑院とは足利義満の戒名で、台翰は書に対する敬語である。後世の人が、義満が書いたことを示したものであろう。

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