歴史・文化

大明寺跡の石塔
大明寺跡の石塔

〒899-2201 鹿児島県日置市東市来町湯田4010-2

大日寺(長里地区の鶴丸小学校の場所にあった)の末寺で、桂峯山宝持院大明寺と称していた。この石塔には大明寺を移転した経緯を記してある。高さ1.7m、横幅約45㎝の角柱である。

かくれ念仏洞穴
かくれ念仏洞穴

〒899-2202 鹿児島県日置市東市来町長里5311

江戸時代の薩摩藩では一向宗(真宗)を禁じて厳しく取りしまったので、信者たちはここに隠れてひそかに信仰を続けた。洞穴の中には、空気孔や仏像を置いたと思われる棚なども残っている。

阿弥陀如来像三体
阿弥陀如来像三体

〒899-2202 鹿児島県日置市東市来町長里5311

養母地区田代の東福家の氏神として祀られている3体の木像。中央の木像の背面には、応永33年(1426)9月の墨書があり、鹿児島で最も古い木像の可能性がある。

荻前田橋
荻前田橋

〒899-2202 鹿児島県日置市東市来町長里5311

昭和6年、養母の大里川の上流に架けられた石橋である。東市来地域に残る34基の石橋でただ一つの2連式アーチ型の石橋である。橋の長さは21.6mである。

石敢當
石敢當

〒899-2202 鹿児島県日置市東市来町長里1569

高さ164㎝で、日置市内の石敢當の中でも最も大きい。安永3年(1774)に魔よけのため杉之迫郷中が建てたものであるが、「右ゆのもととをり」の文字も刻まれているので、道標も兼ねていたと思われる。

薩摩焼古窯南京皿山窯跡二基
薩摩焼古窯南京皿山窯跡二基

〒899-2431 鹿児島県日置市東市来町美山975

美山地区の山中の斜面にあり、2基の登り窯跡が並んでいます。斜面の下から見て、右側は幅約9m、長さ約22m、左側は幅約7m、長さ約17mで、美山の窯跡で最も大きなものです。弘化3年(1846年)に調所笑左衛門広郷の助力によって開かれ、明治4年(1871年)の廃藩置県によって操業を終えたようです。 調所は、薩摩藩の財政建て直しのため、藩内各地の産業振興を進めており、苗代川(現在の美山)には責任者として村田堂元を派遣しました。苗代川では「黒もの」と呼ばれる陶器の生産が主でしたが、調所の政策によって本格的な磁器の生産が始まりました。南京皿山釜は磁器生産を目的とした釜で、茶碗、皿、土瓶、鉢など日用雑器を中心に生産しました。 従来の陶器生産に加え、磁器の生産が始まったことで、苗代川はおおいに栄えたようです。美山の玉山神社には、調所と村田に感謝して建てられた「招魂墓」が残っています。

薩摩焼古窯五本松窯跡一基
薩摩焼古窯五本松窯跡一基

〒899-2431 鹿児島県日置市東市来町美山498-2

美山五本松の山の斜面にあり、現在は杉林に覆われている。窯はすでに崩壊しているが、窯床の幅1m、長さ30mが残っている。半円筒形単式傾斜窯であろうと推測される。朝鮮半島の古い形式を受け継いだものであろう。

狛犬像二体及び仁王像二体
狛犬像二体及び仁王像二体

〒899-2201 鹿児島県日置市東市来町湯田

湯田稲荷神社にある。狛犬像は作られた年代は不明であるが、吽像(うんぞう)を島津忠国(在位1425~1459)の時、鹿児島に移したとされている。現在の吽像は正徳5年(1715)3月に庚申供養で再建したものである。仁王像は鳥居の左右に建てられた、面貌鋭く精巧に作られた石像である。阿像(あぞう)(高さ232㎝)には正徳5年(1715)3月に建てたと刻み、吽像(うんぞう)(高さ242㎝)には石工・神主・噯(あつかい)の名前が刻まれている。

伊作田兵部太夫道材の墓地
伊作田兵部太夫道材の墓地

〒899-2203 鹿児島県日置市東市来町伊作田2535

道材は南北朝時代中頃の伊作田城主で、南朝方として戦ったと伝えられている。7基の五輪塔が並んでいるが、どれが道材の墓かは不明である。1基には「比丘尼道性建武三年(1336)」と刻まれている。

美山薩摩焼窯
美山薩摩焼窯

〒899-2431 鹿児島県日置市東市来町美山973

「御定式(ご じょうしき)窯」とも呼ばれている。美山の窯之平にある連房式登り窯で寛延年間(1748~1751)に藩の御用窯として築かれた。藩主もしばしば訪問し、製品は海外にも輸出されたという。約120年間使われ、明治初年に廃窯。

湯之元の田の神
湯之元の田の神

〒899-2201 鹿児島県日置市東市来町湯田1821-2

笠をかぶり、袴を着け、右手にメシゲを左手に椀を持ち、舞を舞っている形の田の神像。元文4年(1739)3月に郷士たちが建てた。現在、周辺は住宅地になっている。

ヤッコソウ発生地
ヤッコソウ発生地

〒899-2201 鹿児島県日置市東市来町湯田3878

湯田稲荷神社裏山の、椎の木の根元に10月から11月に発生する顕花植物である。高さが3~4㎝でその姿が「奴(やっこ)」の歩く姿に似ているので、この名が付けられたとされている。

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