薩摩焼古窯南京皿山窯跡二基

美山地区の山中の斜面にあり、2基の登り窯跡が並んでいます。斜面の下から見て、右側は幅約9m、長さ約22m、左側は幅約7m、長さ約17mで、美山の窯跡で最も大きなものです。弘化3年(1846年)に調所笑左衛門広郷の助力によって開かれ、明治4年(1871年)の廃藩置県によって操業を終えたようです。
調所は、薩摩藩の財政建て直しのため、藩内各地の産業振興を進めており、苗代川(現在の美山)には責任者として村田堂元を派遣しました。苗代川では「黒もの」と呼ばれる陶器の生産が主でしたが、調所の政策によって本格的な磁器の生産が始まりました。南京皿山釜は磁器生産を目的とした釜で、茶碗、皿、土瓶、鉢など日用雑器を中心に生産しました。
従来の陶器生産に加え、磁器の生産が始まったことで、苗代川はおおいに栄えたようです。美山の玉山神社には、調所と村田に感謝して建てられた「招魂墓」が残っています。

住所〒899-2431 鹿児島県日置市東市来町美山975
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