有馬新七は吉田松陰、真木和泉と並ぶ明治維新原動力の志士で、薩摩での尊王攘夷の中心として活躍しました。文久2年(1862年)4月、京都の寺田屋で同じ薩摩藩士と斬り合いの末壮絶な死を遂げました。(寺田屋事件)墓は南林寺墓地撤去により現在地に移されたものです。 伊集院文化財・史跡歴史・史跡歴史・文化観光スポット 名称有馬新七先生墓碑(アリマシンシチセンセイボヒ) 住所〒899-2501 鹿児島県日置市伊集院町下谷口