日吉エリア

史跡や寺跡が残っており、歴史を感じる数多くのスポットが日吉町にはあります。
武将になれるまちとして戦国期の軍議場をイメージしている、よしとし軍議場では戦国体験もできます。
日本三大砂丘に数えられる吹上浜沿いを縦断する吹上浜サイクリングロードは歴史ある名所をめぐりながらサイクリングを楽しめます。
歴史を体験できる日吉町に、ぜひお越しください。

山田の田の神
山田の田の神

〒899-3101 鹿児島県日置市日吉町日置89

水神と並んで祀ってある。道路改修や土地の崩落などで何回か移動し、平成6年に現在地に安置された。田の神には年代は刻まれていないが、水神には宝永7年(1710)と刻まれており、同年代に作られた可能性がある。

岩屋観音
岩屋観音

〒899-3102 鹿児島県日置市日吉町山田2154-1

子宝と安産に霊験あるとして参詣が多い。山田家15代有信の奥方は子がなく、岩屋観音に男子を授かるよう祈願した。天正6年(1578)に男児が産まれたが、奥方はすぐに亡くなったという。この子が高名な武士山田昌巌である。

鹿児島塚跡
鹿児島塚跡

〒899-3203 鹿児島県日置市日吉町吉利片町

天文2年(1533)に桑波田孫六と島津実久(薩州家)は南郷城を奪回するため兵を進めたが、島津忠良と貴久(本家15代太守)に敗北した。鹿児島塚はこの時の戦場の後始末で集めた敵の武具類を埋めたものとされている。

深固院跡
深固院跡

〒899-3203 鹿児島県日置市日吉町吉利7585-1

開山は薩藩禅宗の開祖石屋真梁和尚である。石屋は元中3年(1386)に深固岳の北麓に草庵を結び深固院と名付けて布教を始めた。寺はその後なくなったが貞享3年(1686)吉利領主21代清雄の時に再興した。

園林寺跡
園林寺跡

〒899-3203 鹿児島県日置市日吉町吉利5004-3

建立は応永24年(1417)で、文禄4年(1595)に禰寝重張が吉利に移封された時小根占からこの地に移した。初代清重以下の霊を集め祀る外、17代重張以下歴代領主の墓があり、明治維新の功臣小松帯刀の墓もある。

鬼丸神社
鬼丸神社

〒899-3203 鹿児島県日置市日吉町吉利

祭神は禰寝家16代右近太夫重長である。重長は大隅地方に勢力を振るい剛勇の聞こえ高く、善政を布いたため慕われたという。その子重張は小根占から吉利領主に移封されたのでここに鬼丸神社を建立して父の霊を祭った。

大乗寺跡
大乗寺跡

〒899-3101 鹿児島県日置市日吉町日置5680

大乗寺は島津15代太守貴久の夫人雪窓の建立によるもので開山は一岳等忍和尚である。文禄4年(1595)に日置島津3代常久は初代歳久の冥福のためここを日置島津家の菩提寺にしたという。明治初年の廃仏毀釈で廃寺となった。

八幡神社
八幡神社

〒899-3101 鹿児島県日置市日吉町日置

祭神は天照大神、天津彦彦火瓊々杵尊、栳幡千々姫命、仲哀天皇、応神天皇、神功皇后。文禄4年(1595)に日置島津3代常久によって、日置52社の総鎮守となっている。毎年6月の第1日曜日に「せっぺとべ」が行われている。

小松帯刀
小松帯刀

幻の宰相と呼ばれる小松帯刀。それは彼が類稀なる才能と手腕を幕末の混乱期に家老として発揮しながらも、明治三年(1870年)に若くして亡くなったことを惜しんでのことである。 小松は天保六年(1835年)、喜入(現鹿児島市)領主の肝付兼善の三男として生まれ、政情不安定な幕末維新期に生き、活躍する。 のちに吉利(現日置市)領主であった小松家の養子となり、小松帯刀清兼と改名した。島津斉彬のもとでは火消隊長などになっている。斉彬の死後の文久元年(1861年)には側役に昇進して、大久保利通を重用するなどしながら島津久光・忠義を補佐した。文九二年(1862年)からは家老として、倒幕に向けて薩長同盟や王政復古、そして明治維新に尽力した。維新後は参与として版籍奉還を画策するなど、これからを期待される人材であったが、明治三年(1870年)に病気のため、36歳の若さで亡くなった。

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