
石敢當
〒899-2202 鹿児島県日置市東市来町長里1569
高さ164㎝で、日置市内の石敢當の中でも最も大きい。安永3年(1774)に魔よけのため杉之迫郷中が建てたものであるが、「右ゆのもととをり」の文字も刻まれているので、道標も兼ねていたと思われる。
窯元の里といわれる美山で陶芸体験ができたり、工房・喫茶を自然に親しみながら楽しめます。
多くの人に親しまれてきた歴史ある湯之元温泉は、優れた泉質でゆったりとした時間を過ごせます。
また、葡萄や苺など、旬の果物の収穫体験も楽しめます。
綺麗な夕日が見られる東シナ海に面した江口浜海浜公園もおすすめ観光スポットですので、ぜひお立ち寄りください。
〒899-2202 鹿児島県日置市東市来町長里1569
高さ164㎝で、日置市内の石敢當の中でも最も大きい。安永3年(1774)に魔よけのため杉之迫郷中が建てたものであるが、「右ゆのもととをり」の文字も刻まれているので、道標も兼ねていたと思われる。
〒899-2431 鹿児島県日置市東市来町美山975
美山地区の山中の斜面にあり、2基の登り窯跡が並んでいます。斜面の下から見て、右側は幅約9m、長さ約22m、左側は幅約7m、長さ約17mで、美山の窯跡で最も大きなものです。弘化3年(1846年)に調所笑左衛門広郷の助力によって開かれ、明治4年(1871年)の廃藩置県によって操業を終えたようです。 調所は、薩摩藩の財政建て直しのため、藩内各地の産業振興を進めており、苗代川(現在の美山)には責任者として村田堂元を派遣しました。苗代川では「黒もの」と呼ばれる陶器の生産が主でしたが、調所の政策によって本格的な磁器の生産が始まりました。南京皿山釜は磁器生産を目的とした釜で、茶碗、皿、土瓶、鉢など日用雑器を中心に生産しました。 従来の陶器生産に加え、磁器の生産が始まったことで、苗代川はおおいに栄えたようです。美山の玉山神社には、調所と村田に感謝して建てられた「招魂墓」が残っています。
〒899-2431 鹿児島県日置市東市来町美山498-2
美山五本松の山の斜面にあり、現在は杉林に覆われている。窯はすでに崩壊しているが、窯床の幅1m、長さ30mが残っている。半円筒形単式傾斜窯であろうと推測される。朝鮮半島の古い形式を受け継いだものであろう。
〒899-2201 鹿児島県日置市東市来町湯田
湯田稲荷神社にある。狛犬像は作られた年代は不明であるが、吽像(うんぞう)を島津忠国(在位1425~1459)の時、鹿児島に移したとされている。現在の吽像は正徳5年(1715)3月に庚申供養で再建したものである。仁王像は鳥居の左右に建てられた、面貌鋭く精巧に作られた石像である。阿像(あぞう)(高さ232㎝)には正徳5年(1715)3月に建てたと刻み、吽像(うんぞう)(高さ242㎝)には石工・神主・噯(あつかい)の名前が刻まれている。
〒899-2203 鹿児島県日置市東市来町伊作田2535
道材は南北朝時代中頃の伊作田城主で、南朝方として戦ったと伝えられている。7基の五輪塔が並んでいるが、どれが道材の墓かは不明である。1基には「比丘尼道性建武三年(1336)」と刻まれている。
〒899-2431 鹿児島県日置市東市来町美山973
「御定式(ご じょうしき)窯」とも呼ばれている。美山の窯之平にある連房式登り窯で寛延年間(1748~1751)に藩の御用窯として築かれた。藩主もしばしば訪問し、製品は海外にも輸出されたという。約120年間使われ、明治初年に廃窯。
〒899-2201 鹿児島県日置市東市来町湯田1821-2
笠をかぶり、袴を着け、右手にメシゲを左手に椀を持ち、舞を舞っている形の田の神像。元文4年(1739)3月に郷士たちが建てた。現在、周辺は住宅地になっている。
〒899-2201 鹿児島県日置市東市来町湯田3878
湯田稲荷神社裏山の、椎の木の根元に10月から11月に発生する顕花植物である。高さが3~4㎝でその姿が「奴(やっこ)」の歩く姿に似ているので、この名が付けられたとされている。