深固院跡
〒899-3203 鹿児島県日置市日吉町吉利7585-1
開山は薩藩禅宗の開祖石屋真梁和尚である。石屋は元中3年(1386)に深固岳の北麓に草庵を結び深固院と名付けて布教を始めた。寺はその後なくなったが貞享3年(1686)吉利領主21代清雄の時に再興した。
〒899-3203 鹿児島県日置市日吉町吉利7585-1
開山は薩藩禅宗の開祖石屋真梁和尚である。石屋は元中3年(1386)に深固岳の北麓に草庵を結び深固院と名付けて布教を始めた。寺はその後なくなったが貞享3年(1686)吉利領主21代清雄の時に再興した。
〒899-3203 鹿児島県日置市日吉町吉利5004-3
建立は応永24年(1417)で、文禄4年(1595)に禰寝重張が吉利に移封された時小根占からこの地に移した。初代清重以下の霊を集め祀る外、17代重張以下歴代領主の墓があり、明治維新の功臣小松帯刀の墓もある。
〒899-3203 鹿児島県日置市日吉町吉利
祭神は禰寝家16代右近太夫重長である。重長は大隅地方に勢力を振るい剛勇の聞こえ高く、善政を布いたため慕われたという。その子重張は小根占から吉利領主に移封されたのでここに鬼丸神社を建立して父の霊を祭った。
〒899-3101 鹿児島県日置市日吉町日置5680
大乗寺は島津15代太守貴久の夫人雪窓の建立によるもので開山は一岳等忍和尚である。文禄4年(1595)に日置島津3代常久は初代歳久の冥福のためここを日置島津家の菩提寺にしたという。明治初年の廃仏毀釈で廃寺となった。
〒899-3101 鹿児島県日置市日吉町日置
祭神は天照大神、天津彦彦火瓊々杵尊、栳幡千々姫命、仲哀天皇、応神天皇、神功皇后。文禄4年(1595)に日置島津3代常久によって、日置52社の総鎮守となっている。毎年6月の第1日曜日に「せっぺとべ」が行われている。
〒899-2524 鹿児島県日置市伊集院町恋之原
祐兄は戦国時代後期の武士で、島津本家15代太守貴久が敵対する島津実久に攻められ、清水城(現鹿児島市)を脱出する際に貴久を守った。ほかにも功績があり、伊集院の恋之原に土地をもらい、ここで亡くなったとされている。
〒899-2501 鹿児島県日置市伊集院町下谷口1887
巨岩の表面を磨いて阿弥陀三尊像が刻まれている。中央に阿弥陀如来、右に脇侍観音、左に勢至で、脇侍が跪座して如来を迎えるのは珍しい。裏面には解読不能の変わった梵字が刻まれている。
〒899-2513 鹿児島県日置市伊集院町麦生田42
平等寺は嘉禄年中(1225~1227)に建立された。初代の住職頼遍法師の入定窟で、建長2年(1250)の刻字がある。周辺には荘厳寺18世の石塔や税所氏の石塔がある。
〒899-2501 鹿児島県日置市伊集院町下谷口1836
伊集院郷の地頭仮屋の門で、個人の所有となり個人宅に移転されたが、昭和60年6月に伊集院町へ寄贈され、仮屋があった伊集院小学校へ移された。
〒899-2502 鹿児島県日置市伊集院町徳重341
石谷が町田(後に石谷と改姓)高久の領地になったことを、伊集院氏は不満に思い、宝徳1年(1449)に高久を呼び出し、墓碑がある場所で暗殺したと伝えられている。